“ そのまま時は流れた。
そして1967年、ストックホルム市は、オリンピック開催55周年を記念する式典を開催することになった。
オリンピック開催当時の記録を調べていたオリンピック委員会は、ひとりのマラソン・ランナーが「行方不明」即ち、完走も棄権もしていない状態であることを発見した。
そのランナーは、日本でまだ存命であることを彼らは突き止めた。
委員会はあらためて、金栗に、棄権するか完走するか、そのいずれかを選択するよう要請した。
要請を受けた金栗は、ストックホルムへ赴いた。もちろん完走するために。
金栗は、式典の中で当時のコース(実際には競技場内の100メートルだった、残りの距離は消化したという粋な計らいだった)を走って完走し、ゴールまで半世紀以上という公式記録が残された。
金栗のタイムは世界一遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われている。
金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」というコメントを残している*1。”
- 史上最遅のマラソン・ランナーがゴールしたのはスタートしてから54年8ヶ月6日5時間32分20秒後だった 読書猿Classic: between / beyond readers (via ginzuna) (via cabbage)
そして1967年、ストックホルム市は、オリンピック開催55周年を記念する式典を開催することになった。
オリンピック開催当時の記録を調べていたオリンピック委員会は、ひとりのマラソン・ランナーが「行方不明」即ち、完走も棄権もしていない状態であることを発見した。
そのランナーは、日本でまだ存命であることを彼らは突き止めた。
委員会はあらためて、金栗に、棄権するか完走するか、そのいずれかを選択するよう要請した。
要請を受けた金栗は、ストックホルムへ赴いた。もちろん完走するために。
金栗は、式典の中で当時のコース(実際には競技場内の100メートルだった、残りの距離は消化したという粋な計らいだった)を走って完走し、ゴールまで半世紀以上という公式記録が残された。
金栗のタイムは世界一遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われている。
金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」というコメントを残している*1。”
- 史上最遅のマラソン・ランナーがゴールしたのはスタートしてから54年8ヶ月6日5時間32分20秒後だった 読書猿Classic: between / beyond readers (via ginzuna) (via cabbage)